生粋のお嬢様で、女優としても活躍していた朝丘雪路さんがアルツハイマーのために亡くなりました。最後の3年間は夫である津川雅彦さんが、自宅で介護を行っていたようです。
朝丘雪路さんと津川雅彦さんは大物同士の結婚で、世間を騒がせました。おしどり夫婦といわれていましたが、モテ男だった津川さんは結婚後も多くの女性と遊び歩いていたようです。また、事業に失敗してかなりの額の借金を抱えていた事実もあります。2人は10年前から別居状態でした。
そうした背景があるから、津川さんの3年間の介護生活は非常に濃いものとなったようです。
朝丘雪路の夫、津川雅彦はプレイボーイ!それでも離婚はしなかった

若かりし頃のお2人…美男美女ですね
料亭「勝田」の女将の娘として生まれた朝丘雪路さん。父親は大正、昭和にかけて活躍した浮世絵師・版画家・日本画家の伊東深水さんです。朝丘さんは妾の子どもでしたが、父親は彼女を非常に溺愛したといいます。
小学校の通学には人力車を使用するというお嬢様ぶりで、深水は友人から
「このような浮世離れした生活をさせていては、娘さんがだめになる」
と、忠告されていました。
その後、朝丘雪路さんは宝塚音楽学校に入学して、娘役として活躍するようになります。1967年には青森県八戸市に内科医と結婚して男児をもうけましたが、1968年に離婚して子どもは夫側が引き取っています。
津川さんと再婚したのは朝丘雪路さんが38歳の時でした。もともと、モテモテだった津川雅彦さんは、結婚後も女性関係の噂が絶えませんでした。それでも、4歳年上の妻だった朝丘さんは、津川さんの奔放さを笑って許していたようです。
朝丘雪路が先に逝って良かったと語る津川雅彦…様々な夫婦の形とは?

津川さんの体調不良も心配されています
朝丘さんのマイペースな性格と、津川さんの自由人ぶりはとても相性が良いように見えて、2人はおしどり夫婦といわれていました。しかしながら、津川さんの事業の失敗を受けて、10年前から別居をし始めます。とはいえ、籍は入れたままだったということは、全く仲が悪いということでもなかったのかもしれませんね。
自由に生きてきた津川さんも、朝丘さんがアルツハイマーを発症してからは別居を解消して献身的な介護を行っていたようです。会見に際して、津川さんは言葉少なに
「妻には、感謝、感謝です」
と語っていました。
2人の姿から、様々な夫婦の形があるものだと思わずにはいられません。
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